ここらへんで、私が勝手に思っている『霊に対する認識』をひとつ。
■■■■■■ 霊に対する認識 ■■■■■■
霊とは、特別に"霊"という物体が存在するわけではなく、
要するに、"思い"である。
肉体が失われてからも、"思い"はそこら辺一帯に浮遊する。
とくに、それが強い"思い"であれば尚更だ。
例えば、
誰かを恨んでいるという"思い"を残して肉体が失われたならば、
「恨めしい」という"思い"が浮遊する。
誰かを守りたいという"思い"を残して肉体が失われたならば、
「守りたい」という"思い"が浮遊する。
そしてその"思い"は、それを最大限に表現する形で、人(感じられる人)の目に映る。
誰かが恨めしいのであれば、
「俺はこんな風になっちまったぞ」ということで、血だらけとか。
誰かを守りたいのであれば、
「俺はお前を見守っているぞ」ということで、光り輝いているとか。
そしてそれは"思い"だけに、
時間が過ぎれば忘れ去られる。
埴輪を持った縄文人の霊が枕もとに現れないのも、ここらへんが関係している。
1000年以上も物事を覚えていられないのである。
もちろん、忘れ去られる時間は、その"思い"の強さによって様々である。
昆虫や小動物などは、"思う"能力が発達していないので、
サナダムシの霊とかは、今のところいない。
サナダムシがこの先進化すれば、
う●こした後に一緒に拭き取られたサナダムシの怨念とかもあるかもしれない。
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今まで一度も心霊体験のない私が断言するのも恐れ多いが、
いずれにせよ、私は今のところ、そう(「霊とは"思い"だ」と)認識しているのである。
この一言を書いているとき、
んー・・・いいとこついてるけど、ちょっと違うなぁ。
と誰かに語りかけられそうで、
何回も振り向いた。
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